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今年もたくさんの作品を見た。見るにつけ感じるのはその同一性。
人生経験・思想の異なる数多くの作者が、なぜか似通った技法を用いて
作るその作品群はまるで工場からでてきたばかりのT34。
数点だけの集合であればうまく思える作品が、これだけ揃った時には
まるで目に留まらないものとなる。
どこがちがうんだ・・。
もちろん、作者が自分のオリジナルを求めて努力していることはわかる。
若干の個人の人間性を感じる事もできなくは無い。
しかしその向かうベクトルに多様性は無い。
人間の思想が普遍でない以上、われわれの言動は当然その時代のあり方に大きく作用される。
一世代昔の手法は時代遅れと批判され、1歩以上先を見たものは理解されない。
人々からの賞賛を得るものは時代の流れに乗ったものであって,
自分の気持ちを素直に表現したものではない。
あまりにも人の目を気にしすぎているのではないのか?
その作品つくりが本当に自分の気持ちを解放しているのか?
誰のために作っているんだ?
我々は所詮資本主義に翻弄される哀れな踊り子なのか?
静岡に行くことで人はその現実を否応無く実感させられ、しばし手を休める。
そしてその気持ちが薄れたころからまた同じことの繰り返しが始まる・・。
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